2020.5.18

『鬼ごっこのまち物語り』Vol,25

 
中島 智
羽衣国際大学 現代社会学部 准教授

 
哲学者の三木清(1897~1945)は『人生論ノート』所収の「娯楽について」の中で、「今日娯楽といわれるもののうち体操とスポーツだけは信用することができる」と述べています。続けて、「娯楽は衛生である。ただ、それは身体の衛生であるのみでなく、精神の衛生でもなければならぬ。そして身体の衛生が血液の運行を善くすることにある如く、精神の衛生は観念の運行を善くすることにある。凝結した観念が今日かくも多いということは、娯楽の意義とその方法がほんとに理解されていない証拠である」とも。
 
『人生論ノート』が出た1941年は、戦争の影響で生活にさまざまな制限を強いられる時代でした。幻の1940年東京五輪を含め五輪を三木はどう見ていたのか気になりますが、それはともかく、「娯楽について」の冒頭で「生活を楽しむことを知らねばならぬ」と彼は説きます。さらに、「真に生活を楽しむには、生活において発明的であること、とりわけ新しい生活意欲を発明することが大切である」と。そして、最後の一文を「真に生活を楽しむ者はディレッタントとは区別される創造的な芸術家である」と結びます。
 
三木の言葉は、現在の私たちに向けられたメッセージとして受け止めることができないでしょうか。長い自粛生活を経て「コロナ疲れ」「コロナストレス」といった声も聞かれます。いわゆる三密の回避もあり、娯楽・遊びの世界も窮屈になってきました。今後は、不安やストレスで凝り固まった心を解きほぐすこと。そして社会の分断・差別を越えた、思いやりや相互協力などの倫理、それもグローバル(地球的)と言われる時代にふさわしいそれの確立が求められるはず。そこに単に消費的ではない、創造的な文化としての娯楽・遊び、そしてスポーツの果たすひとつの役割があるのではないでしょうか。
 
2020年の東京五輪も延期になりましたが、ピンチはチャンス。新たな生活様式が求められている今は、三木の言葉にならえば、生活者一人ひとりが芸術家となるべき時代とも言えるはず。鬼ごっこのある町づくりを続ける仲間たちの姿が思い浮かびますが、そんな時代に見合った遊びやスポーツを考えることは、地球的規模の連帯について思いをめぐらす契機にほかならないと思うのです。
  

中島 智 / Nakajima Tomo

羽衣国際大学 現代社会学部 准教授


1981年滋賀県生まれ。専攻・関心分野:観光学・地域文化政策・子ども文化論・福祉文化学。東京立正短期大学現代コミュニケーション学科専任講師を経て、羽衣国際大学現代社会学部専任講師(京都文教大学総合社会学部非常勤講師を兼務)。「知る前に感じる」「動きながら考える」「遊ぶように生きる」ことを学生たちと実践している。共編著に『新・観光を学ぶ』(八千代出版、2017年)。共著に『こども文化・ビジネスを学ぶ』(八千代出版、2016年)など。
<その他、所属>
一般社団法人東京スポーツクロスラボ 監事