2016.4.22

『オニ文化コラム』Vol,13

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術楽部講師

熊本を中心に大地震が襲いました。ここでは、熊本が生んだ史上最強の鬼を紹介することでエールに替えさせていただきます。

「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられる柔道家がいます。
木村政彦(1917年 ~1993年)です。
熊本市川尻で生まれ、旧制鎮西中学在籍時に講道館四段を取り、全国に「熊本の怪童」の名を轟かしました。拓殖大学予科では全国優勝。全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め15年間不敗という驚異の強さを誇りました(不敗のまま柔道界引退)。

この不敗を支えた精神力。それは「負けたら腹を切る」という姿勢からも伝わります。そして練習量。「3倍努力」という言葉を残しておりますが、3倍以上の努力は勿論、研究熱心でした。拓大当時「相手の腕を帯や道着を使って縛って抑える」という技術を開発。現在、世界中でこの技術は活用されています。

1950年にプロ柔道へ、その後プロレス界に。1951年にはブラジル・リオデジャネイロで、ブラジリアン柔術家エリオ・グレイシーと戦います。腕緘(うでがらみ)が海外で「キムラロック」「キムラ」と呼ばれるのは、この試合が由来なのだそうです。

帰国後、日本プロレスの祖・力道山と組んでプロレスに本格参戦しますが、力道山との試合をきっかけにプロレス界を離れます。そして1961年に拓大柔道部監督に就任し、全国大会優勝や優秀な弟子の育成など実績を残しました。

リオでの戦いから歳月が経ち1999年、エリオは『PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦』に出場する息子ホイスと共に初来日。講道館を訪問し、故人となっていた木村の写真を見て涙を浮かべ、「日本に来られて本当に良かった」と語ったそうです。

凄まじい生き様だった木村の別名は「鬼の木村」。
当時の柔道界は現在より圧倒的に人口が多く、その中で15年間不敗…常人並みの心技体では成しえない偉業。その彼を熊本が育みました。熊本は武道の色濃い地域であり、何より気骨があるのです。奇しくも今年はリオオリンピック。「木村」が「キムラ」になったリオで最強を目指し強者たちが闘います。

史上最強の柔道家を生んだ熊本。熊本の皆様。貴方たちは強い。今は大変な時ですが、私達全員でこの難局を戦い一緒に乗り越えましょう!

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

実践女子大学院文学研究科美術史学専攻修士課程卒。大学在学時から折口信夫の民俗芸能学を学び、全国の祭礼を見て歩く。有明教育芸術短期大学子ども教育学科非常勤講師(民俗学)や早稲田大学メディア文化研究所招聘研究員などを経て、現在は、玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科講師(民俗芸能論)や学習院さくらアカデミー講師ほか。また、民俗芸能を地域資産として活かすべく、(株)オマツリジャパンなどで地域活性に取り組んでいる。


著作例:
編集:『年中行事辞典』(三隅治雄・編/東京堂出版 2007年)、
共著:『メディアの将来像』(メディア文化研究所・編/一藝社2014年)
著書:『にっぽんオニ図鑑』(じゃこめてい出版 2019年)
脚本:朗読劇『イナダヒメ語り』(武蔵一宮氷川神社 2018年)
コラム:オニ文化コラム(社)鬼ごっこ協会 毎月更新)、山崎先生の民俗学(ミドルエッジ)、にほん風習風土記(陸上自衛隊)、氷川風土記(武蔵一宮氷川神社)