2024.6.4

『オニ文化コラム』Vol,107

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術学部講師

 
京都三大奇祭というのをご存じでしょうか。
 
実は、今宮神社のやすらい祭と鞍馬の火祭、太秦広隆寺の牛祭を京都三大奇祭として挙げることがあります。
 
この内、太秦広隆寺の牛祭は10月10日の夜に行われる、広隆寺境内にある大避(おおさけ)神社の祭礼です。社伝によると、安養界の真の無量寿仏を求めていた恵信僧都源信が広隆寺絵堂の阿弥陀如来を拝して念仏会を修し、摩多羅神を勧請して国家安泰、五穀豊穣を祈祷したことが祭りの起源なのだそうです。
 
祭礼では、紙製の神面をつけた摩多羅神が牛に乗り、に風流の行列を従えて、広隆寺の客殿の庭から寺の周辺を練り歩き、薬師堂前に設けられた祭壇を3周し、壇上にて摩多羅神が祭文を読み上げます。参詣者は、祭文読誦の間、野次をとばすなど、行事の進行を妨げるのが恒例でした。祭文を読み終わると、四天王とともに堂内に突入するが、昔は、厄を逃れるといって、群集があとを追って堂内に入り、その面を取り上げたといいます。

この四天王が白装束の赤鬼、青鬼なのです。そう、鬼。

とはいうものの、です。この牛祭り。実はしばらく開催されていません。開催されない理由は牛の調達が定期的に行えないためとも言われています。ですから、牛祭の赤鬼や青鬼は今は見ることができない鬼たちです。

 
ところで、この大避神社。実は広隆寺を創建した秦河勝を祖神とする秦氏の神社です。それゆえ、主祭神が日本の神々ではありません。主祭神は主祭神秦始皇帝・弓月王(ゆんずのきみ)・秦酒公(はたのさけのきみ)…なんと始皇帝!とはいえ、『延喜式』神名帳での祭神の記載では「大酒神社 元名大辟神」とあるので、元の神名は「大辟神」であったようです。このほか兵庫県赤穂市にも大避神社があります。こちらで祀られている大避大神は秦河勝とされています。神社自体が面白い存在です。

最後に。この牛祭を読んだ俳人がいます。与謝蕪村(享保元年(1716年)~天明3年12月25日(1784年1月17日)))です。実はこの牛祭は晩秋を指す俳句の季語なのです。

蕪村は「角文字のいざ月もよし牛祭」と詠みました。蕪村もきっと、牛祭の青鬼と赤鬼を見たのでしょう。私もいつかリアルで見てみたいです・・・。

 

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

実践女子大学院文学研究科美術史学専攻修士課程卒。大学在学時から折口信夫の民俗芸能学を学び、全国の祭礼を見て歩く。有明教育芸術短期大学子ども教育学科非常勤講師(民俗学)や早稲田大学メディア文化研究所招聘研究員などを経て、現在は、玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科講師(民俗芸能論)や学習院さくらアカデミー講師ほか。また、民俗芸能を地域資産として活かすべく、(株)オマツリジャパンなどで地域活性に取り組んでいる。


著作例:
編集:『年中行事辞典』(三隅治雄・編/東京堂出版 2007年)、
共著:『メディアの将来像』(メディア文化研究所・編/一藝社2014年)
著書:『にっぽんオニ図鑑』(じゃこめてい出版 2019年)
脚本:朗読劇『イナダヒメ語り』(武蔵一宮氷川神社 2018年)
コラム:オニ文化コラム(社)鬼ごっこ協会 毎月更新)、山崎先生の民俗学(ミドルエッジ)、にほん風習風土記(陸上自衛隊)、氷川風土記(武蔵一宮氷川神社)