2023.7.27

『オニ文化コラム』Vol,98

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術学部講師

 
先日、ある中学校から「なぜ鬼ごっこは終わりがないのか」という問い合わせをいただきました。なるほど…。
 
鬼ごっこが「子供たちの遊び」である点から考えると、規則(ルール)があることで、全体として一対多(鬼対子)の追いかけっこという形式を子供たちが持続することが可能になっていることに意味があるように思います。終わりがないというより、交代することで遊びとしてより長く楽しめるのです。
 
鬼ごっこについては、専門家から世界各地から多くの現地調査者によって報告されています。また現在の子供たちだけでなく、古くから日本、中国、欧州などの地域に鬼ごっこがあったことが知られています。「鬼ごっこが見当たらない民族集団はどこにもないかのようだ。」(日本子ども学会・島田将喜)と指摘する学者もおり、世界に古くから存在します。この事実については「ヒトとはもともと子供の時には鬼ごっこを行う動物である」とする専門家もいまして、これはどういうことかというとヒトに近いサルにも追いかけっこで遊ぶ姿がみられるためです。実際多くの霊長類のコドモは、「追いかけっこ」と「取っ組み合い」という2つの代表的な要素の繰り返しで構成された社会的遊びを頻繁に行うことが知られています。
 
ですので、そもそもヒト・サル時代から「追いかけっこ」が先にあり、そこに日本文化が合体して生まれたのが日本の鬼ごっこ…という解釈もできます。
 
日本の鬼ごっこのルーツとして、ひとつには修二会があるといわれますが、もうひとつ「ことろことろ」が挙げられます。こちらは地獄と極楽の世界を細かく解説した恵心僧都(源信)は仏法の意に基づいて創案したものです。恵心僧都は仏教の鬼として地獄の鬼の姿をこの時に一般にも広めたと言えます。この地獄の鬼というのは、地獄で死者を責めるという悪鬼の姿ですから、怖い存在です。死者は鬼から逃げたいし、鬼は地獄におちた死者を追いかける存在です。修二会の鬼より、こちらの鬼の姿の方が鬼ごっこの姿に近いように思っています。
 
実際、ことろことろは江戸時代には一般的な遊びでしたし、現代社会の中で誕生したスポーツ鬼ごっこも、日本文化のひとつなのです。
 

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

実践女子大学院文学研究科美術史学専攻修士課程卒。大学在学時から折口信夫の民俗芸能学を学び、全国の祭礼を見て歩く。有明教育芸術短期大学子ども教育学科非常勤講師(民俗学)や早稲田大学メディア文化研究所招聘研究員などを経て、現在は、玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科講師(民俗芸能論)や学習院さくらアカデミー講師ほか。また、民俗芸能を地域資産として活かすべく、(株)オマツリジャパンなどで地域活性に取り組んでいる。


著作例:
編集:『年中行事辞典』(三隅治雄・編/東京堂出版 2007年)、
共著:『メディアの将来像』(メディア文化研究所・編/一藝社2014年)
著書:『にっぽんオニ図鑑』(じゃこめてい出版 2019年)
脚本:朗読劇『イナダヒメ語り』(武蔵一宮氷川神社 2018年)
コラム:オニ文化コラム(社)鬼ごっこ協会 毎月更新)、山崎先生の民俗学(ミドルエッジ)、にほん風習風土記(陸上自衛隊)、氷川風土記(武蔵一宮氷川神社)