2023.6.8

『オニ文化コラム』Vol,96

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術学部講師

 
日本には鬼の伝説や鬼に関わる神社が点在します。大阪府枚方市にも鬼の力でもって鬼門を封じる力を与える神社があります。「片埜神社(かたのじんじゃ)」です。京阪電鉄「牧野駅」から徒歩で5分の場所にあります。
 
片埜神社には「より強い鬼をもって外の鬼を制する」ということで巨大な鬼の面が備えられています。なぜ鬼に関わるようになったのかといいますと、その由来は豊臣秀吉。
 
神社自体は2000年以上前に創建された朝廷から認められた由緒ある神社で、京都の城南宮、大阪・堺の方違神社と並んで方除三社の一社に当たります。ですが、戦国時代になるとそれまで壮大な社殿を抱えていた片埜神社は兵火に見舞われて荒廃しました。その後、豊臣秀吉は天下を取らんとしていた時、片埜神社が大阪城に対して「鬼門の方角(北東)」に鎮座していたことから鬼門からの結界を張るための「鬼門封じの社」として片埜神社を建て直し、天正11年(1583)に大坂城鬼門鎮護の社と定めました。慶長7年(1602)には豊臣秀頼による本殿等の寄進大造営もあり、方位鬼門除けにも霊験あらたかな社と知られるようになります。ちなみに当時の大坂城天守の北東の石垣には鬼面が刻まれており(現存せず)、片埜と対面させていたそうです。
 
そんなわけで大坂城の鬼門除けの神社とされたことから、現在でも方除・厄除の神として信仰されています。また、このような背景から鬼は片埜神社の象徴・守り神とされていまして、絵馬や御朱印には鬼面が描かれるほか、節分の豆まきでは「鬼は内」と唱えています。
 
その片埜神社、江戸時代までは「一宮牛頭天王」を正式名称としていました。
 
そもそも片埜神社は出雲の豪族・野見宿禰が第11代垂仁天皇の命令で当麻蹴速と相撲を取って勝ったことにより天皇から賜った土地に、出雲の神である素戔嗚尊を祀り一族の鎮守としたもの。それが後に「片埜神社」になったのです。
この素戔嗚尊が古代のいつ頃からか釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神・牛頭天王と同一視されたため、片埜神社も古くは「一宮牛頭天王」と呼ばれました。
 
最後に。片埜神社には鬼面のお守りがあります。これを鬼門の方向に顔を向けて置くと災いが起きないといわれています。ぜひ。
 

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

実践女子大学院文学研究科美術史学専攻修士課程卒。大学在学時から折口信夫の民俗芸能学を学び、全国の祭礼を見て歩く。有明教育芸術短期大学子ども教育学科非常勤講師(民俗学)や早稲田大学メディア文化研究所招聘研究員などを経て、現在は、玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科講師(民俗芸能論)や学習院さくらアカデミー講師ほか。また、民俗芸能を地域資産として活かすべく、(株)オマツリジャパンなどで地域活性に取り組んでいる。


著作例:
編集:『年中行事辞典』(三隅治雄・編/東京堂出版 2007年)、
共著:『メディアの将来像』(メディア文化研究所・編/一藝社2014年)
著書:『にっぽんオニ図鑑』(じゃこめてい出版 2019年)
脚本:朗読劇『イナダヒメ語り』(武蔵一宮氷川神社 2018年)
コラム:オニ文化コラム(社)鬼ごっこ協会 毎月更新)、山崎先生の民俗学(ミドルエッジ)、にほん風習風土記(陸上自衛隊)、氷川風土記(武蔵一宮氷川神社)