2022.2.24

『オニ文化コラム』Vol,83

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術学部講師

 
日本で鬼というと、最近では「鬼滅の刃」でしょう。
 
吾峠呼世晴氏による漫画「『鬼滅の刃』は、集英社の『週刊少年ジャンプ』で2016年11号~2020年24号まで連載され、漫画本体の人気の高さから映画化、グッズ化など多角的に作品関連の企画が展開した作品です。
 
その内容は、日本の大正時代を舞台に主人公の少年が鬼と化した妹を人間に戻すために仲間たちと共に鬼たちと戦う姿を描いたものです。

 
この大正時代に庶民に流行した着物があります。それが秩父銘仙。秩父銘仙は埼玉県秩父市、秩父郡横瀬町、秩父郡小鹿野町、秩父郡皆野町、秩父郡長瀞町という秩父地域一帯で作られている織物です。
 
その由来は古く、第10代天皇・崇神天皇の時代(一説に3世紀後半)、知々夫彦命(ちちぶひこのみこと)が、養蚕と機織りの技術を人々に伝えたことが起源と言われています。秩父地方の地形は三峯山や宝登山など山岳信仰の聖地である山々に囲まれていることからも分かる通り山深いために稲作が難しく、その代わりに養蚕業が盛んになりました。秩父の絹は鎌倉幕府(1192年)頃より、関東武士の旗指物として採用され、北条氏邦の家臣で根古屋城(秩父郡横瀬町)の城代浅見伊賀守慶延が奨励し品質堅牢な「根古屋絹」を産出しています。江戸時代には幕府の衣冠束帯用に秩父絹(根古屋絹)が採用され、品質堅牢な特徴から《鬼秩父》《鬼太織》などと称され、秩父絹は全国に名を馳せていきます。また、養蚕製糸を営む農家が換金できない規格外の繭(くず繭・玉繭など)や糸(太糸・熨斗糸)を利用して野良着をつくりだします。それが「(秩父)太織」と呼ばれる野良着です。その太織が評判を呼び「鬼秩父」とも呼ばれ大衆の普段着として生活の中に定着しました。
 
この「太織」が近代には「秩父銘仙」と呼ばれるようになり、明治中期から昭和初期にかけておしゃれ着として広く普及し最盛期を迎えます。
 
ですので、鬼滅の刃に登場する人物たちもきっと、「鬼秩父」と呼ばれた着物に接していたことでしょう。
 
鬼滅の刃の着物にも、きっと鬼(鬼秩父からの秩父銘仙)が関わっていたに違いない…と和洋折衷の自由な空気に満ちた大正時代の風俗にも想いを馳せてみました。
 

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

実践女子大学院文学研究科美術史学専攻修士課程卒。大学在学時から折口信夫の民俗芸能学を学び、全国の祭礼を見て歩く。有明教育芸術短期大学子ども教育学科非常勤講師(民俗学)や早稲田大学メディア文化研究所招聘研究員などを経て、現在は、玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科講師(民俗芸能論)や学習院さくらアカデミー講師ほか。また、民俗芸能を地域資産として活かすべく、(株)オマツリジャパンなどで地域活性に取り組んでいる。


著作例:
編集:『年中行事辞典』(三隅治雄・編/東京堂出版 2007年)、
共著:『メディアの将来像』(メディア文化研究所・編/一藝社2014年)
著書:『にっぽんオニ図鑑』(じゃこめてい出版 2019年)
脚本:朗読劇『イナダヒメ語り』(武蔵一宮氷川神社 2018年)
コラム:オニ文化コラム(社)鬼ごっこ協会 毎月更新)、山崎先生の民俗学(ミドルエッジ)、にほん風習風土記(陸上自衛隊)、氷川風土記(武蔵一宮氷川神社)