2021.5.21

『オニ文化コラム』Vol,74

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術学部講師

 
今回は能楽の鬼を紹介いたします。
能の演目の五分類「神男女狂鬼」のうち、2番目に位置する「男」、即ち「修羅物」(二番目物)には、勝ち戦の武将を題材とした「勝修羅物」と、負け戦の武将を題材とした「負修羅物」があります。勝修羅物は「田村」「箙」「八島/屋島」の三曲のみで、「勝修羅三番」とも言います。このうち「田村」は世阿弥作ともいわれる能で、「清水寺に詣でた僧は、満開の桜の下、庭掃きの童子に寺の縁起を聞き、付近の名所を教えてもらう。田村堂に消えた童子は、その夜、読経をする僧の前に坂上田村丸となって現れ、鈴鹿山(※伊勢国と近江国の国境にある山)の鬼退治の有様を物語る(引用/能楽用語事典)」という内容です。
 
この鈴鹿山の鬼退治の鬼こそ大嶽丸(おおたけまる)。文鬼神魔王、大だけ丸、大竹丸などとも記される鬼神で、中世には京・大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)と並び称されるほど人々に恐れられた存在です。この鬼を扱ったものとしては能「田村」以外にも、室町時代にまとめられた『御伽草子』(室町物語)に記された説話「田村の草子」も有名です。
 
ただ、この大嶽丸の退治はちょっと切ない。そもそも退治の勅命を受けたのは田村丸(坂上田村麻呂とも平安時代の鎮守府将軍・藤原利仁とも)ですが、どうにもこうにも倒せない。そこで登場するのが大嶽丸に言い寄られても振りまくっていた妖艶な美女・鈴鹿御前。彼女が田村丸に協力し、色香で大嶽丸を惑わし大嶽丸が持つ3振りの宝剣のうち2つを取り上げることに成功したことで田村丸は最終的に大嶽丸の首を落とせて退治が出来ました。と思いきや死んだはずの大嶽丸は生還。またもや田村丸が征伐にあたり再び切り落とし、今度はその首を都に持ち帰り、宇治の宝蔵に収められました。
 
ふと『古事記』にある景行天皇の皇子・ヤマトタケルによるクマソタケル(熊襲建、川上梟帥)の征伐の逸話を思い出しました。ヤマトタケルは女装してクマソタケル兄弟の警戒心をかいくぐり、彼らを倒しています。
 
どちらの逸話も女が退治のカギとなっております。退治される側からしたら「卑怯なり」と思っているのではないか、と思わずにはおれません。
 
 

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

実践女子大学院文学研究科美術史学専攻修士課程卒。大学在学時から折口信夫の民俗芸能学を学び、全国の祭礼を見て歩く。有明教育芸術短期大学子ども教育学科非常勤講師(民俗学)や早稲田大学メディア文化研究所招聘研究員などを経て、現在は、玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科講師(民俗芸能論)や学習院さくらアカデミー講師ほか。また、民俗芸能を地域資産として活かすべく、(株)オマツリジャパンなどで地域活性に取り組んでいる。


著作例:
編集:『年中行事辞典』(三隅治雄・編/東京堂出版 2007年)、
共著:『メディアの将来像』(メディア文化研究所・編/一藝社2014年)
著書:『にっぽんオニ図鑑』(じゃこめてい出版 2019年)
脚本:朗読劇『イナダヒメ語り』(武蔵一宮氷川神社 2018年)
コラム:オニ文化コラム(社)鬼ごっこ協会 毎月更新)、山崎先生の民俗学(ミドルエッジ)、にほん風習風土記(陸上自衛隊)、氷川風土記(武蔵一宮氷川神社)