2021.5.2

『オニ文化コラム』Vol,73

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術学部講師

 
 
栃木源宇都宮市の通りのひとつに「百目鬼通り(どうめきどおり)」があります。この名称の由来は、平安時代に宇都宮にいた百目鬼という鬼を藤原秀郷が退治したこと。
 
藤原秀郷は平安時代中期の武将で、俵(田原)藤太とも言います。10世紀に平将門が起こした天慶の乱を平定したことで知られる武将です。このほかに民間伝承として有名なのが「百足(ムカデ)退治」、の伝説。その昔、近江国・瀬田(勢多)の唐橋に60メートルもあろうかという大蛇が横たわり、みんな渡れず困っていたところに俵藤太=藤原秀郷が立ち寄り、臆せずにゆうゆうと大蛇を踏みつけて渡っていきました。その晩、藤太の宿を若い女性が訪ねて来て、「あなたのような勇敢な武将を待っていた」と。実は、この女性は琵琶湖に住む竜神の一族で、大蛇に化けていたといい、三上山の大ムカデ退治を依頼します。藤太は強弓をつがえて射掛けましたが、一の矢、二の矢は跳ね返されて通用せず。三本目の矢に唾をつけて射ると効を奏し、百足を倒しました・・・という伝説です。
 
この退治伝説で知られる藤原秀郷は、冒頭にも紹介しました通り、栃木県では鬼退治にも関わっております。
 
栃木県宇都宮市の「とちぎふるさと学習」に、このような物語が紹介されております。
 
”田原藤太(たわらのとうた=藤原秀郷)は、家来を従えて、池の辺の里(今の宇都宮)へ狩に出ました。
その帰り道で出会った老人に「大曽(おおぞ)の里の北西の兎田に行け。」と言われました。
兎田は、「馬すて場」と呼ばれる昼間でも薄気味悪いところでした。
そこに行ってしばらく待っていると、身の丈三メートルもある百の目を持つ恐ろしい化け物があらわれました。
藤太は、百の目の中の特に光り輝く一つの目をねらい、矢を放ちました。
見事命中し、化け物は、倒れました。
その後、兎田は塙田村(はなわだむら)と名前も変えられて、人が住むようになりました。“
 
百足も鬼も退治する秀郷が現代社会にいたら、コロナも退治してくれたかもしれない…など思わずにはいられない自分です。
 
なお、栃木県の伝統工芸「ふくべ細工」では百目鬼は魔除けの面になっております。地域で大切にされる鬼でもありますね。
 
 

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

実践女子大学院文学研究科美術史学専攻修士課程卒。大学在学時から折口信夫の民俗芸能学を学び、全国の祭礼を見て歩く。有明教育芸術短期大学子ども教育学科非常勤講師(民俗学)や早稲田大学メディア文化研究所招聘研究員などを経て、現在は、玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科講師(民俗芸能論)や学習院さくらアカデミー講師ほか。また、民俗芸能を地域資産として活かすべく、(株)オマツリジャパンなどで地域活性に取り組んでいる。


著作例:
編集:『年中行事辞典』(三隅治雄・編/東京堂出版 2007年)、
共著:『メディアの将来像』(メディア文化研究所・編/一藝社2014年)
著書:『にっぽんオニ図鑑』(じゃこめてい出版 2019年)
脚本:朗読劇『イナダヒメ語り』(武蔵一宮氷川神社 2018年)
コラム:オニ文化コラム(社)鬼ごっこ協会 毎月更新)、山崎先生の民俗学(ミドルエッジ)、にほん風習風土記(陸上自衛隊)、氷川風土記(武蔵一宮氷川神社)