2021.1.27

『オニ文化コラム』Vol,70

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術学部講師

 
 
令和3年になりました。とはいえもう1月末。節分=退治される鬼が現れる時期です。退治される存在ではあり同時に愛される存在でもあるのが鬼。そのような事例が他にもありますので、今回はそのお話。
 
本来は四天王に踏みつけられる悪・仏敵の象徴であった邪鬼が愛される鬼になった事例があります。それは「天燈鬼(てんとうき)」と「龍燈鬼(りゅうとうき)」。
 
彼らは仏前に奉じられる燈篭を捧げ持つ役割を与えられた鬼です。天燈鬼は左肩に灯篭を担ぎ、口は大きく開かれ、阿形を表します。龍燈鬼は両足をやや開いた直立姿勢で、竜を体に巻き付け、頭上に灯篭を乗せる口は一文字に閉じ、吽形を表しております。
 
これ、実は国宝の木彫像が有名です。作者は鎌倉時代の仏師・康弁(こうべん)。平安時代末期~鎌倉時代初期に活動した仏師・運慶の三男ですが生没年などは伝わっておりません。しかし彼は名作を残しました。それが興福寺の「天燈鬼・龍燈鬼立像」(国宝)。鎌倉時代、興福寺西金堂の仏前を照らすものとして作られた像です(現在は同寺国宝館に展示されています)。日本の仏像としても、仏教がひろく伝播している東アジアの仏像のなかでも類例がほとんどないそうです。
 
この仏像は昔から知られていたわけではありません。文献上は「享保弐丁酉日次記」という江戸時代の興福寺の記録にはじめて登場します。西金堂にあった龍燈鬼の像内に「建保3年(1215年)、大法師・聖勝を願主として康弁が造った」と書いた紙が入っていたという記述です(現存せず)。ここから龍燈鬼像の作者が康弁であることが判明しました。天燈鬼は康弁あるいは康弁周辺の慶派の仏師の作と推定されています。
 
なお、興福寺の西金堂は、奈良時代に光明皇后が母・橘三千代の菩提のために建立した堂で、そこに安置されている仏像で最も有名と言っても過言ではないのが、有名な阿修羅像。天燈鬼・龍燈鬼立像は鎌倉時代に作られた仏像ですから、当時はもちろん存在しません。治承4年(1180年)、平氏による南都焼討ちで焼亡した西金堂を復興する際、新たに製作されたと考えられています。
 
謎は多々あるも今も愛される鬼彫刻です♪
 
 

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

実践女子大学院文学研究科美術史学専攻修士課程卒。大学在学時から折口信夫の民俗芸能学を学び、全国の祭礼を見て歩く。有明教育芸術短期大学子ども教育学科非常勤講師(民俗学)や早稲田大学メディア文化研究所招聘研究員などを経て、現在は、玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科講師(民俗芸能論)や学習院さくらアカデミー講師ほか。また、民俗芸能を地域資産として活かすべく、(株)オマツリジャパンなどで地域活性に取り組んでいる。


著作例:
編集:『年中行事辞典』(三隅治雄・編/東京堂出版 2007年)、
共著:『メディアの将来像』(メディア文化研究所・編/一藝社2014年)
著書:『にっぽんオニ図鑑』(じゃこめてい出版 2019年)
脚本:朗読劇『イナダヒメ語り』(武蔵一宮氷川神社 2018年)
コラム:オニ文化コラム(社)鬼ごっこ協会 毎月更新)、山崎先生の民俗学(ミドルエッジ)、にほん風習風土記(陸上自衛隊)、氷川風土記(武蔵一宮氷川神社)