2020.6.25

『オニ文化コラム』Vol,63

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術学部講師

 
 
山口県光市にある「牛島」をご存じでしょうか。瀬戸内海では唯一のカラスバトの生息地としても知られる、光市室積港から南東約8・4kmの瀬戸内海海上にある島です。
 
この島名は、平安時代に牛の放牧地「垣島牛牧(かきしまのうしのまき)」として牛が放牧されていたことに由来するそうです。それが影響しているのか、島内には牛に関連した民話がいくつか残されており、「牛鬼(うしおに)」の伝説も伝わっております。ということで、今回はこの牛島の牛鬼退治伝説をご紹介いたします。
 
山口県のホームページには「島内で悪行を重ねる牛鬼を、島の住民たちが、力を合わせて苦難の末に退治する物語です。今から400年余り前のこととされ、島内には、今も、牛鬼の根城と伝えられる場所が残されています」と紹介されています。また、『光市史』( 光市史編纂委員会編 光市 1975)や『長門周防の伝説』 (松岡利夫編著 第一法規出版 1977)、『光市史跡探訪 第1集』( 国広哲也著 光市文化財研究会 1986)などにも記載されています。
 
どのような伝説かというと、今から400年余り昔の天文年間(1532~54)、当時の牛島では牛鬼が悪事の限りを尽くし、人々を苦しめていました。その頃、土佐の長宗我部(ちょうそかべ)家の家臣・藤内図書橘道信(とうないずしょたちばなのみちのぶ)が、その弟の御旗三郎左衛門信重(おんばたさぶろうざえもんのぶしげ)と二人で牛島に来ました。しかし、島には人家はあるのに人影がなく、それを不審に思ってこの島の住人と思しき漁師らに事情を聞き、牛鬼の悪行を知ります。牛鬼の悪行を聞いた道信たちは、すぐに牛鬼征伐に向かいましたが、牛鬼は強く、とてもかないそうにありませんでした。そこで二人はひとまず室積の浦へと退散しました。そこで、その浦の漁師から「弓の名人がいるよ」と教えてもらい、近くの三輪村に暮らす城喜兵衛平朝臣高経という弓の名人に会います。そして名人らと協力し、牛鬼を射殺しました…というような内容です。
 
牛鬼は山口県にかぎらず西日本に広く伝わる存在です。地域ごとで伝承内容も、その風貌も異なりますため、その違いを調べてみるのも面白いと思いますよ♪
 
 

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

実践女子大学院文学研究科美術史学専攻修士課程卒。大学在学時から折口信夫の民俗芸能学を学び、全国の祭礼を見て歩く。有明教育芸術短期大学子ども教育学科非常勤講師(民俗学)や早稲田大学メディア文化研究所招聘研究員などを経て、現在は、玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科講師(民俗芸能論)や学習院さくらアカデミー講師ほか。また、民俗芸能を地域資産として活かすべく、(株)オマツリジャパンなどで地域活性に取り組んでいる。


著作例:
編集:『年中行事辞典』(三隅治雄・編/東京堂出版 2007年)、
共著:『メディアの将来像』(メディア文化研究所・編/一藝社2014年)
著書:『にっぽんオニ図鑑』(じゃこめてい出版 2019年)
脚本:朗読劇『イナダヒメ語り』(武蔵一宮氷川神社 2018年)
コラム:オニ文化コラム(社)鬼ごっこ協会 毎月更新)、山崎先生の民俗学(ミドルエッジ)、にほん風習風土記(陸上自衛隊)、氷川風土記(武蔵一宮氷川神社)