2020.4.23

『オニ文化コラム』Vol,61

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術学部講師

 
 
新年度初の鬼文化コラムです。
 
江戸時代後期の旅行家・菅江真澄(1754年~1829年)が書き記した風俗記録の中に、秋田県で書き記した「辭夏岐野莽望圖(しげき山本)」という書があります。1802年に秋田県山本郡一帯を探訪した記録です。その中に鬼神という地名が。鬼神は小栗判官が乗った馬・鬼鹿毛が生まれた土地なのだと記録しております。これも鬼ですが今回紹介するのはこれとは別。5月の節句のお話です。
 
5月といえば端午の節句。男の子さんがいらっしゃるご家庭では鯉のぼりや兜を用意する一大イベントの日です。そして、この時食べるものとして欠かせないものの一つが「粽(ちまき)」。関東だと柏餅が一般的かもしれませんが西日本は粽が多いと思います。さてこの粽。端午の節句でお祝いとして食べられるのは、米粉でつくった餅を葉で包んだ円すい形のものですが、菅江真澄がこの書で紹介しているものはちょっと独特。詳しく書きますと、藤琴村(現・藤里町)の風習として「例のささまきをつくり、あるいは菱巻、別名を鬼の礫(つぶて)というが、米をしのの葉に包んで蒸し、これを七つ、あるいは十あまりも糸にくくり、さねかづら(実蔓)の実のようにして供える」と紹介しております。粽を「鬼の礫」と表現しているのです。研究者によると「鬼のつの」とも言ったそうです。
 
粽自体は中国由来の食べ物です。それが日本に伝わり、かつては茅(ちがや)の葉でもち米やうるち米粉の餅を包んで作っていたため「ちまき」と言うのだとも言われます。現在では笹の葉で巻くのが主流ですが、茅は6月末に全国の神社で行われる邪気祓いの夏越しの祓いで用意される茅の輪にも用いる草。古来邪気を払うと信じられていた草です。ですから茅で巻いた粽は災厄や疫病を払う食べ物とされてきたようです。文献から見ると、宇多天皇の頃(9世紀~)にはもう宮廷で5月の節句に粽を食べていたことがうかがえます。
 
その粽を「鬼の礫」「鬼のつの」と言う理由までは菅江真澄は記しておりませんが、邪気…邪鬼を払うことに由来するのかも?と思う自分です。現在は新型コロナウィルスと立ち向かう日々ですから、邪気を払う食べ物を紹介させていただきました。
 

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

実践女子大学院文学研究科美術史学専攻修士課程卒。大学在学時から折口信夫の民俗芸能学を学び、全国の祭礼を見て歩く。有明教育芸術短期大学子ども教育学科非常勤講師(民俗学)や早稲田大学メディア文化研究所招聘研究員などを経て、現在は、玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科講師(民俗芸能論)や学習院さくらアカデミー講師ほか。また、民俗芸能を地域資産として活かすべく、(株)オマツリジャパンなどで地域活性に取り組んでいる。


著作例:
編集:『年中行事辞典』(三隅治雄・編/東京堂出版 2007年)、
共著:『メディアの将来像』(メディア文化研究所・編/一藝社2014年)
著書:『にっぽんオニ図鑑』(じゃこめてい出版 2019年)
脚本:朗読劇『イナダヒメ語り』(武蔵一宮氷川神社 2018年)
コラム:オニ文化コラム(社)鬼ごっこ協会 毎月更新)、山崎先生の民俗学(ミドルエッジ)、にほん風習風土記(陸上自衛隊)、氷川風土記(武蔵一宮氷川神社)