2019.5.24

『オニ文化コラム』Vol,50

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術学部講師

令和に入って初めてのコラムです。令和初、ということで令和の典拠『万葉集』を思い出しましたので、同時期の古典『風土記』に登場する鬼を2つご紹介します。
 
まず『出雲国風土記』の大原郡の記述より。こちらに登場する鬼は「日本最古の鬼」とも言われますが、個人的には「人を食べる鬼」「一つ目の鬼」の初出と捉えております。その内容は「古老の言い伝えでは、昔、ある人がここで山田を耕作して守っておりました。その時、目一つの鬼(もの)が来て、耕作していた人の男(息子)を食べてしまいました。その男の父母は竹藪の中に隠れましたが、竹の葉がかすかに揺れ動いてしまいました。すると、目一つの鬼に食われている息子さんは「動動(あよ、あよ=揺れている、揺れている)」と言いました。だから阿欲(あよ)の郷と名付けられ、後に神亀3年(726年)に郷名を「阿用」と改めたそうです」というもの。

「目一つの鬼」の解釈は諸説ありますが、鍛造する際の炎を見続けて片目を失明してしまう=一つ目になる事例があったことから、出雲に居たであろう鍛冶を担う集団を指摘する声があります。であるならば神としての鬼ではなく、人を指しているのでしょうが、だとすると尚更に、人間を食べる記述はちょっと恐ろしい・・・。「あよあよ」と動いた理由についてもハッキリしておりません。一説には父母に危険を知らせたとも、あるいは、自分を置いて逃げた父母への嘆きとも。何せ原文には「動々」としか書かれておりませんので、息子さんのお気持ちは想像するしかありません。いずれにせよ、恐ろしい・・・。

もうひとつは『常陸国風土記』の久慈郡の記述に登場します。こちらには「昔、魍魎(もの)有り。萃集(あつま)りて、鏡を翫(もてあそ)び見る則(すなは)ち、自(おのづか)らに去る。俗に云はく、「疾き鬼(もの)も鏡に面(むか)へば、自らに滅ぶ」といふ」という記述があります。こちらの文章の「鏡」については、中国の山西省辺りでは今も照魔鏡の縁起物が売られているということで、大陸由来の逸話の感があります。
 
令和最初からちょっと怖い鬼をご紹介しましたが、どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。
 
 

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

実践女子大学院文学研究科美術史学専攻修士課程卒。大学在学時から折口信夫の民俗芸能学を学び、全国の祭礼を見て歩く。有明教育芸術短期大学子ども教育学科非常勤講師(民俗学)や早稲田大学メディア文化研究所招聘研究員などを経て、現在は、玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科講師(民俗芸能論)や学習院さくらアカデミー講師ほか。また、民俗芸能を地域資産として活かすべく、(株)オマツリジャパンなどで地域活性に取り組んでいる。


著作例:
編集:『年中行事辞典』(三隅治雄・編/東京堂出版 2007年)、
共著:『メディアの将来像』(メディア文化研究所・編/一藝社2014年)
著書:『にっぽんオニ図鑑』(じゃこめてい出版 2019年)
脚本:朗読劇『イナダヒメ語り』(武蔵一宮氷川神社 2018年)
コラム:オニ文化コラム(社)鬼ごっこ協会 毎月更新)、山崎先生の民俗学(ミドルエッジ)、にほん風習風土記(陸上自衛隊)、氷川風土記(武蔵一宮氷川神社)